覚悟を決めての演奏 ウィーンフィル
少し前にウィーンフィルの演奏会行って参りました。
当初半数のチケット発売してソーシャルディスタンスでの販売だったのが、直前に残りの席も販売されて、サントリーホール2000席以上全て埋まっての演奏でした。
演奏会の実施に当たっては、オーストリア大統領から総理大臣への親書があったとか色々噂されておりますが、私は演奏会を行ったことはよくも悪くも意味があったことだと思っています。
後半の演奏の前に下のようなメッセージが、団員の方からされて演奏が始まりました。
”このコンサートの実現に向けたサントリーホール、両国政府、大使館などの努力に感謝する。世界中に演奏の場を奪われている演奏かが多くいる中で、演奏をできることの楽しみを噛み締めたい。指揮者のゲルギエフはこの悲愴の演奏を困難に直面するすべての人に捧げる。会場の皆様も演奏後、拍手ではなくまず黙祷を持って思いを共有したい。”
その団員の思いも込められた演奏は、もしかしたら人生で聞いた演奏会の中で一番ではないかと思えるほどの名演でした。ウィーンフィルの定番曲の演奏は鉄板ではありますが、さらに集中力が乗った高い演奏だった思います。ゲルギエフの一挙手一投足にオケが凄まじい反応する見事な一体感でした。
悲愴4楽章の終わった後の会場の張り詰めた空気は本当に名演だっとことを物語っていたと思います。
演奏会自体には今でも賛否あるんだろーなと思います。
確かにコンサートやライブは三密だから自粛すべきなのかもしれません。でも通勤の山手線、地下鉄(特にホームオフィス対応が不十分な霞ヶ関近辺)はコロナ前と対して代わりのない蜜状態がずっと続いていています。サントリーホールの中はそうしたものに比べると密な感じは全くしませんでした。
私は、この演奏に立ち会えて本当によかったと思います。
芸術や演奏といったものは本当に大事なもので、自分の生死に関わらず大切にしなければいけないと本当に考えさせられましたし、非常に大きな勇気をもらえました。
さて、、、
演奏自体をもう少し振り返ると、ウィーンフィルもやはり演奏する曲目や指揮者によって本当に豹変するんだなーと感じました。
ウィーンフィルもって書いたのは、 他のプロオケでそうした経験があるからで、私の場合は、はるか昔のウィーンのムジークフェラインザールでの地元プロオケの演奏でした。前半のフランス曲と後半のブルックナーの出来が段違いすぎてのけぞったことがあります。フランスの曲は、本当に初見大会みたいなおっかなびっくりな演奏だったんで素人目にも驚いたのですが、後半のブルックナーはさすがと唸らせるものでした。
昔からよく、ウィーンフィルも下手な指揮者とで本当に下手な演奏をするとよく聞きます
今回ロシア出身のゲルギエフはロシアレパートリー中心で来日してます。これは結構な冒険のようなメニュー。
さすがにウィーンフィルですから演奏レベルと完全に近いものですが、それでも前半のプロコフィエフは少し大人しさを感じさせた演奏でした。完成度の高い整った上品な演奏で、ウィーンフィルもなんでもこなすオケになったんだと感心しました。。
でもふと思うと、ニューヨークやシカゴのオケなどと比べるとどうしても迫力にかける部分がどうしてもあり、現代曲はアメリカかロンドンのオケかなーってちょっと思っちゃいました。
まあこの晩の悲愴に関しては、すでに書いたように宇宙一でしたので、どうしても差がついちゃった感はあります。
ピアニストのマツェーフは調子がよかったみたいでアンコールで弾いた禿山のピアノ版が本当に凄まじかったです。
本割のコンチェルトの方はいとも簡単に弾ききってしまいましたが、上手すぎて逆にちょっと落ち着いた感じでした。
この人でも将来のヴィルトーゾなんだろうなこの人。なんでもさらと弾きこなしそう。
プロコは辻井伸行さんで是非とも一度聞いてみたいですね。
もしかしたらマツェーエフと辻井さんいい時代のライバルになるかもですね。二人とも本当にこれからがさらに楽しみ。巨匠になって行かれるんでしょう。
色々考えても本当に歴史的な一夜でした。関係者の皆さんに本当に感謝いたします。